終戦後に妻と共に特攻した特攻兵の実話のドラマ
戦争については、いろいろな本を読んだり、映画やドラマを観てきたが、この物語は知らなかった。太平洋戦争は多くの悲惨な話があるが、満州国での出来事は1,2を争う悲惨な出来事ではないだろうか?日本から移住してきて開拓団が、ようやく普通の暮らしができるようになったら、ソ連が日ソ中立条約をやぶり、進攻してきて開拓してきた村を追われる。頼みの関東軍は一般市民を助けるどころか、我先に逃げ出してしまう。残された市民は、戦争中に関東軍に痛い目にあわされていた中国人に襲わたり、女性はソ連兵に乱暴され、男性はシベリア抑留に遭うなど、本当に大変な思いをされたと思います。
「妻と飛んだ特攻兵」はそんな満州国で終戦を迎えた陸軍少尉・谷藤徹夫(映画では山内節夫)と妻・朝子(房子)をモデルにしたドラマです。
この話は本当?と聞き返したいことがいくつかある。まず、なんといっても特攻機に女性が乗ったという事実。次は、特攻に飛んだ日が8月19日、つまり終戦後ということ。そして、特攻に飛んだ場所が満州国ということと相手がソ連だということ。特攻と言えば、鹿児島から太平洋のアメリカの戦艦に向かっていくものを想像するだろう。ソ連に向けた特攻が存在したことを初めて知った。
1945年(終戦の年)、6月に沖縄が米軍に占領され、日本本土は空襲に見舞われる中、満州国は物品にあふれ、平和な時を過ごしていた。f満州国の陸軍は、特攻兵の養成所となっていた。そこに陸軍少尉・山内節夫(成宮寛貴)の妻・房子(堀北真希)が日本から訪れる。
しかし、平和だった満州国の生活も8月9日のソ連の侵攻により一変する。陸軍はソ連と決戦に備えるが爆弾が無い。隊員は、飛行機ごと、戦車に体当たりし開拓団を守ることを決意するが、陸軍本部から朝鮮半島に撤退することを命じられる。つまり、開拓団の村民を見捨てて軍だけ避難するということだ。
見捨てられた開拓団は、団長・藤田(國村隼)の決断のもと村を捨てて逃げることを決断するが、軍がいなくなったことで、地元の中国人から暴行にあう。満州国での一般人の境遇は想像できないぐらい悲惨なものだったに違いない。そして、非難する途中にソ連兵に見つかり銃で滅多打ちにあってしまう。丸腰の一般人にそこまでする必要があるのだろうか。藤田の娘も銃で自殺してしまう。(葛根廟事件、1,000人近くが犠牲になり、9割が女性や子供だった)
1945年8月15日、ソ連軍に突撃する日であったが、終戦が告げられ突撃命令は中止される。そして、軍には飛行機をソ連軍に引き渡すように命令が下されるが、飛行機を渡してしまうと、民間人への暴行、略奪が一層厳しくなることが間違いない。
節夫ら陸軍の有志は、少しでも民間人の犠牲を少なくするために、飛行機を引き渡さず、戦車に特攻することを決断する。隊長・道場(杉本哲太)も有志の思いを理解し特攻をゆるす。
特攻前夜、房子は日本刀を持ち出し、節夫に殺してくれと依頼し、自ら自害しようとするが節夫に止められる。房子は節夫に一緒に飛ぶことを、お願いする。
隊長・道場の号令の下、11機の特攻機に隊員が乗り込むと、日傘をさし、真っ白いワンピースを着たおよそこの場に相応しくない格好の房子が現れる。そして節夫の特攻機に乗り込むと、もう一人、隊員たちの憩いの場の小料理屋で未亡人の女将が、仲の良い隊員の特攻機に乗り込んでいく。(実際に2人の女性が特攻機に乗り込んだ)
節夫、房子がソ連軍に向かう飛行中のやりとりは、感動的なものでした。
戦後、彼ら特攻隊員は軍紀違反として、戦没者名簿に載せられることもなかったが、隊長・道場の尽力で戦没者名簿に載ることができた。
戦後に起きたあまり知られていない、悲しくも感動的な物語でした。
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