感動映画  海難1890

95年の時を超える日本とトルコの感動の実話

 1890年、エルトゥールル号遭難事件(死者587名・生存者69名)

 主要登場人物

 村民・・・ 医師・田村(内野聖陽)、助手・ハル(忽那汐里)

 船員・・・大尉・ムスタファ

 1890年、明治天皇への拝見を終えたトルコの使節団約600名を乗せたエルトゥールル号が、台風に煽られ紀伊串本町の大島付近で座礁する。

エルトゥールル号

 事故を知った紀伊大島・樫野の村民たちは、台風の中総出で船員たちの救助にあたる。急峻な崖での救出や、病人たちの介護、遺体の捜索など、村民たちは台風の中、不眠不休で救助に努めた。

 500名以上の仲間を無くしたことに責任を感じ、絶望しているムスタファ達生存者を、田村やハルを中心とした村民たちが看病し、励ましていく。明治23年という食糧が貧しい時代にもかかわらず、村民たちは自分たちの分を犠牲にしてまで、食料を与える。

 やがて生存者は、遺留品回収役のムスタファを残し、神戸の病院に搬送される。

トルコ記念館
どうして串本にトルコなのか トルコ軍艦「エルトゥールル号」遭難 明治22年オスマン帝国皇帝アブデュル・ハミット…

 後日、遺留品がなくっていることに気づいたムスタファが、村民が盗んだと勘違いし、抗議する。しかし、村民が血の付いた遺留品を洗っていたことを知り、感銘を受ける。

 ここまでが、エルトゥールル号遭難編。少々長くて、間延びする感覚だが、後半への大事な物語なので、しっかり見て欲しい。

 1985年、テヘラン脱出編

 主要登場人物

 日本人学校教師・春海(忽那汐里)、生徒・裕之(若林瑠海)、日本大使館大使・野村(永島敏行)

 トルコ大使館職員・ムラト(ムスタファと同一役者)

 1985年、イラン・イラク戦争の停戦破棄を受けて、イラクのフセイン大統領が「48時間後にイラン上空を飛行する飛行機を無差別に攻撃する」との声明をだす。

 イランに住む日本人及び、イラン人以外の人々は脱出を試み、首都テヘランの空港に殺到する。飛行機は満員で、日本人は搭乗できない。他国は航空会社を通じ飛行機を派遣し、自国の国民を優先的に救出する。大使の野村が日本に救出用の飛行機を要請するが、安全が保障されないという理由で飛行機がこない。他国の飛行機も日本人を乗せる余裕が無いため、日本人は取り残される。

 野村はトルコ政府に救援を要請する。トルコの首相は、周囲の反対を押し切り、日本人の救援を命令する。トルコの航空会社で救出に搭乗するパイロットの立候補を求めると、パイロット全員が手を挙げる。危険を顧みず他国の人を助けに行く、感動の瞬間だ。

 ただし問題は解決しない。空港にはトルコ人も多く取り残されている。トルコの飛行機がくると、当然、優先して乗ろうとするだろう。トルコの首相は、日本人救出を決めた時に、この問題にたいし、「自国の国民を信じている」と発言する。素晴らしいリーダーだ。

 春海は、生徒の裕之一家と、知り合いのトルコ人・ムラトと空港に向かうが大勢のトルコ人を目にし、絶望する。トルコの飛行機が到着すると、トルコ人は大喜び。反対に絶望する日本人を前にし、ムラトは、トルコ人たちに日本人を乗せて欲しいと言うが、当然、トルコ人達の猛反発にあう。ムラトはひるまずに、女性や子供、病人以外は陸路で帰り、日本人を飛行機に乗せてくれとくいさがる。

 ムラトは、エルトゥールル号遭難事件を語り、その時、日本人の献身があり、トルコに帰国できたと伝える。日本人を助けられるのはあなた達だけだと。

 ついにトルコ人たちは、日本人を飛行機に乗せることを決断する。日本人として、トルコの人に感謝するとともに、串本町樫野の村民にも感謝したい。95年の年月を超えて、またしても人を救いました。

 空港でのムラトのスピーチ、トルコの子供が裕之の手を引いて搭乗口に向かうシーンは何度見ても感動します。

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