この映画は必ず公式の宣伝を観てから観てください
この映画は藤原達也演じる天才小説家・津田伸一が書いた小説はどこまで本当で、どこまでが虚実(ウソ)かを見破る、視聴者と対戦する映画です。(何も知らずに見ても、普通の映画として成立します)
映画を観てから、原作小説を見ましたが、長編小説2冊分を映画1作にまとめるのは、少々無理があったようです。
原作では田舎の都市が、どこの都市か書かれてませんが、映画では富山になっています。立山連峰の景色や、美しい富山弁も映画の中では楽しめます。
物語のポイントは、幸地秀吉(風間俊介)、奈々美(佐津川愛美)、娘・茜(秀吉の子ではない)の一家3人の失踪事件。郵便配達員失踪事件。偽札事件。倉田健次郎(豊川悦司)の存在。これらがどこまで現実の話で、どこまでが、津田伸一(藤原竜也)の小説なのか?
津田の小説のファンで出版社の鳥飼なほみ(土屋太鳳)は、現実と小説を見抜けるのか?
このブログではあくまで私の主観で現実と小説を区別します
津田は小説が書けなくなり、デリヘリ嬢の送迎のアルバイトを行っている。
2月28日のの深夜(29日なっている)に津田は秀吉とコーヒーショップで出会い話している。この時古本屋で買ったピーターパンの本を、店員の沼本(西野七瀬)に汚される。しかし、これは事実ではなく、小説の出来事だ。事実は、津田と秀吉は顔を会わせてはいない。津田の家庭の情報は、娘・茜の幼稚園の友達の母親で、津田の不倫相手で不動産屋の慎改美弥子(石橋けい)から詳しく聞いたことを基に小説に書いたのだろう。
次の日、秀吉一家は失踪する。これは現実。
デリヘル嬢の加賀まりこ(桜井ユキ)に頼まれて、晴山青年(柿澤勇人)を送った帰りに、デリヘリの面接をスッポかされた奥平(安藤聖)さんを家まで送っていく。これは事実。映画の後半で、倉田健次郎の3枚の偽の万札(鳩と呼んでいる)が、倉田健次郎のもとから離れる。これも小説っぽくできているが事実だ。
古本屋の房州老人(ミッキー・カーチス)が無くなり、遺品としてスーツケースが津田に贈られる。これは事実。しかし、南京錠で止められているのですぐには開けれない。老人の妻の命日をもとに、南京錠を開けると3,003万円の現金とピーターパンの本が入っている。映画では、この時の津田のアパートに2種類の描写が有る。食品コンテナが置いてある部屋と、置いてない部屋だ。コンテナが置いてある部屋が現実で、置いてない部屋が小説だ。
置いて置いてない部屋で開けたスーツケースからはコーヒーで汚れたピーターパンの本が、はっきり映されているが、置いている部屋でははっきり映されていない。
そして、床屋のまえだ(リリー・フランキー)の支払いにスーツケースのお札を使うと、それが偽札と判明する。これは事実。
するとデリヘリ経営の社長(岩松了)があやしい出どころのお金は二度と使うなと忠告する。これは小説の出来事。
デリヘリ嬢まりこに、晴山青年の荷物をグリーンセンターに捨ててくるよう頼まれるが、津田はデジタルカメラに残されたメモリーカードだけ抜きとり、後日、沼本からビデオを借りて中身を見ると晴山青年と奈々美の情事が映されている。これは、原作小説と内容がかなり違うので、小説の出来事だ。
晴山青年と奈々美の不倫は現実だ。これが現実でないとこの物語は成り立たない。奈々美が晴山青年の子を孕んだのも現実だ。奈々美は、秀吉の子と思わせるために、普段はレスの秀吉とアリバイ作りのためにやることにする。しかし・・・・
「中」に続く
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