そして父になる

「生みの親か?育ての親か?」、自分がその立場になったらどうするか?考えさせれる映画

 子供の取り違えを題材にした有名な映画。福山雅治、尾野真千子、慶多(野々宮家)、リリー・フランキー、真木よう子、琉晴(斎木家)、それぞれのいろんな想いが交錯する。慶太は、リリー・フランキーと真木よう子の実子、琉晴は、福山雅治と尾野真千子の実子。

 病院サイドが、両家に説明しているときに、「こういう場合は100%本当の両親の元に戻す」、と話があるが、私もその考えに賛成だったが、映画を観ていると、その考えも揺らいできた。真木よう子の「犬や猫でも無理よ(簡単にこうかんするのは)」、この言葉が頭に残る。

 リリー・フランキーはは、慰謝料に拘ったり、真木よう子の言いなりだったり、ダメ親父かと思われた。しかし慶多に会いに東京まできたり、子供への愛情は深い。福山を諭すように「父親かて、取りかえのきかん仕事やろ」って言葉は、父親として胸に刺さった。

 福山雅治は、奥さんに対する配慮も少なく、思い上がりが強い人物。慶多(リリーと真木の実子)と琉晴(福山と尾野の実子)の両取りを目論む。相手に失礼ではあるが、その思いは理解できる。しかし、子供と一緒にお風呂にも入らない親が言うべきことではない。しかも、初めて琉晴が泊まりに来た時に、仕事で不在になるなど愛情は感じられないし、斎木家を見下し感があり、この映画の福山は受け入れ難い。

 「血か育てか?」

  周囲の人々の反応は、福山の父、夏八木勲は「血」、福山の義母、風吹ジュン、尾野の母、樹木希林は「育て」派だ。

 福山が家計の差を利用し、「二人ともこっちにゆずってくれませんか」と発言する場面が、この映画の見応えのあるシーン。リリーの反応が素晴らしい。真木よう子が1番しっかりものかも。

 裁判の場で当時の看護師(中村ゆり)が、間違えではなくわざとやったと告白するが、公訴時効で罪にならない。神経を逆なでする以外の何物でもない。何で今更証言したのだろうか?

  4人の親の中で福山だけが「血」を優先で、3人は判断できずに映画は進む。特に、慶多が実子でないと分かった時にぼやく「やっぱりそういくことか」。この発言で慶多を見捨てた感が出ていて、尾野にも責められる。もっと悪く言えば、慶多が自分の実子でなくてよかったととも捉えられる。

 いよいよ、子供交換の日が近づいていく。

 福山はリリー・フランキーと接するうちに大分丸くなっていくが、やはりリリー・フランキーの方が子供たちに人気がある。

 福山が、琉晴に野々宮家で生活するにあたっての心得を話しているとき、福山と尾野をパパとママと呼ぶように教えるが、もちろん琉晴は理解できずに「何で?」を繰り返す。更に、いたずらをする琉晴を何度も怒る。

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 福山に馴染めない琉晴は、一人で斎木家へ帰ってしまう。迎えに来た福山に、リリーと真木は「うまくいってないなら、琉晴も慶多も両方ひきとるよ」と言い放つ。福山のプライドはズタズタだ。反省した福山は琉晴に合わせて遊び始めるが、キャンプの真似事中に、テントの中で、流れ星の願い事に「パパとママのところに帰りたい」と願う。

 そして最後。逃げる慶多と追いかける福山のシーンは最高に素晴らしい。

 慶多と琉晴は、育ての親のもとに変えることになる。率直な感想は意外な結末だ。

 

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