吉田修二原作の事実を題材にした作品
この映画は「北関東連続幼女誘拐事件」と「山口連続放火事件」を題材にした作品なので、曖昧な部分や(北関東連続誘拐事件は犯人が捕まっていない)や、田舎の嫌らしいとこが見受けられる。
冒頭、村祭りの神社で骨董品を売っていた中村豪士(綾野剛)の母・洋子(黒沢あすか)はみかじめ料がはらえないことから、チンピラに殴られているところを、藤木五郎(柄本明・誘拐される愛華ちゃんのおじいちゃん)に助けてもらう。洋子と豪士は難民申請で日本に来ていて、片言の日本語しか話せない。
湯川紡(杉咲花・幼少期、筧礼)は、田んぼで藤木愛華と遊んでいたが、Y字路で別れ、愛華ちゃんが行方不明になる。紡は、その時、青か白の車が止まっていたと証言する。(豪士の車は白いワゴン)
村人総出で探し回るが、赤井ランドセルしか発見されない。
12年後。
祭りの稽古中、同級生の野上広呂(村上虹郎)に言い寄られるが、そっけない態度をとる。
紡は祭りの稽古の帰り道、自転車で転倒したところを豪士に助けられ、家の近くまで送ってもらう。紡は12年前の愛華ちゃんの失踪に心を痛めている。子供のころから不遇にあっていた豪士と紡の距離は微妙に縮まっていく。祭りの日、紡は豪士を祭りに誘い出す。しかし、その日12年前と同じY字路で女児が行方不明になる。そのとき、紡の父親が豪士があやしいと言い出し、豪士の家になだれ込む。そこに豪士が帰ってくるが、過去のいじめにあってたトラウマを思い出し、蕎麦屋に逃げ込むが半狂乱になり灯油をまき散らしたあげく自分もかぶり「愛華ちゃん、アイちゃん」と言って自分に火をつける。
田中善次郎(佐藤浩一)は、親の介護のために村に帰って養蜂場を営んでいたが、今は妻にも先立たれ愛犬・レオだけしか親しい家族がいない。はじめは村民とも仲良く暮らしている。集会で知り合った久子(片岡礼子)とも仲良くなっていく。
村で行われる祭りに人出が足りないからと、東京に出て青果市場で働いていた紡も呼び出される。祭りの夜、紡に思いを寄せる同級生の広呂は紡にキスしようとするが、善次郎が現れて中止する。
紡は豪士が火に燃えた時の、豪士の様子を善次郎に尋ねるが、燃えていたからわからないと言われる。
豪士が焼死するシーンの回想シーン。
紡は愛華の祖父・五郎(江本明)に詰め寄られ「愛華だけ死んで、何でお前が生きてる」と言われていた。
そして今でも、五郎にネチネチとからまれる。
東京に戻って青果市場で働いていると、なぜか広呂も同じ市場で働きだす。おちゃらけてる広呂だが、体は病に蝕まられている。
善次郎は村の相談役と村おこしの件でトラブルになったり、13年前の愛華ちゃん不明事件で今更疑われたりと、集落で孤立を深めていく。そんな中で善次郎の愛犬レオが村人を襲う事件が起きる。レオは村人たちによって檻に入れられてしまう。親に善次郎に近づくなと言われた礼子だが、善次郎と車に乗って温泉に行くが、その時に社内で誤解されるシーンを村人に目撃される。そして混浴に二人で入り、キスをするが何故か礼子はそれ以上は拒んでしまう。礼子と温泉に行ったことで村人の嫌がらせは一層ひどくなる。気持ちが切れた善次郎は斧で村人を襲ってしまう。礼子の親まで襲ってしまう。善次郎も自分で腹を切って自殺を図る。
紡は愛華が失踪したとき、愛華の家に遊びに来る誘いを断っていた。そのことで紡はいつまでも負い目を感じている。紡は豪士の母親に会いにいき、豪士が当時の事情聴衆の時にうっすらと笑っていたと告げられる。さらに「つむぎさんがわるいわけじゃない」と書かれた紙を渡される。
紡はY字路の「不審者注意」の看板を引っ張りぬいて投げ捨ててしまう。そこに五郎が現れ、あの時誰かが犯人でいてくれれば全てが終わるので、誰でもいいから犯人であってくれと思ったと言い放つ。
そこで、また紡と愛華がY字路で別れた場面に戻る。その場所に豪士は犬を捨てに来ていて、愛華と鉢合わせ、話しかけられ、後ろをついて行っていた。そのあと、善次郎が通りかかりレオを拾っていく。
様態の回復しかけた比呂から電話が入り、紡に俺たちの楽園を作るように頼まれて映画は終わる。
ちょっと思わせぶりな映画である。愛華ちゃん殺しの犯人は、ほぼほぼ豪士だろうが、はっきりとはしめされていない。登場する人々がみんな少しばかり悪人だ。そして題名の「楽園」とは何を指しているのか?
現実にあった北関東連続誘拐事件と山口連続放火殺人事件を題材にした映画であるが、それに沿うために少し無理があったように思える映画だ。
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